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なぜ40代でも「"女子"会」なのか:米澤泉『「女子」の誕生』


今回紹介するのはこの本。

 

「女子」の誕生
「女子」の誕生
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米澤 泉
勁草書房
売り上げランキング: 81,661

「女子」を着る、「女子」を生きる。姫・ガール・美魔女、常識や年齢を軽やかに飛び越えるファッション誌の「女子」を読み解く。

 

最近ではいわゆる「ガーリー」なものにとどまらず、「オトナ女子」「40代女子会」などという単語まで出てくる、その混沌とした「女子」という単語を、世相やファッション史を通じて論述していく本である。

読んでみた感想は後述するとして、この書籍を読んでいて最も脳裏に残った、タイトルに掲げたテーマについて早速眺めていこうと思うのだが、その前に1つ「女子」という概念の複雑さを少し整理しておく。

「女子」概念と「女子力」概念の間のねじれ

著者によれば、現在のように「男子」「女子」といった学校時代の分類を超えて特別な意味での「女子」という言葉が使われだしたのは2000年代に入ってからのことだそうだ。
特に、その言葉を最初に使用したのは、人気マンガ家の安野モヨコだと言われているらしい。

その混沌とした「女子」というワーディングは発生当初から揺らいでいた。
その象徴として挙げられたのが「女子」と「女子力」の間の概念的な差異である。

「女子」という単語は、20代ではなくアラサー世代の"女子"が飛びついた「学校時代の対等な感じで男社会に自然と立ちたい」というような概念の基に成立しており、「過剰な女性性を軽減する」言葉として使用されてきたものだという。

一方、「女子力」という言葉は、「現代用語の基礎知識2007年版」にて「キレイになりたいと願い、行動する力。ダイエットや美容、ファッションから恋愛まで幅広い。」と説明されるように、どちらかと言えば「男性に向けての力」として理解されることが多いようだ。(「女子力高め」など)

このように、「女子」と「女子力」の間にはかなりのねじれが生じている。
その後はこのねじれを解消しようと「女子力」の定義を拡大解釈する動きも見られたそうだが、そのねじれ構造は多くの人々に認識すらされぬまま、現在まで受け継がれてきており、これが「女子」という言葉の曖昧さに拍車をかけている。


ただ、こうした「ねじれ」の構造は、現在の「女子」概念を理解するためには重要な役割を果たしているのではないかと個人的には思っている。

なぜならば、「女子力」は「現代用語の基礎知識2007年版」で触れられているファッションや美容、恋愛といった領域のみならず、たとえば家事をきちんとこなす際にも「女子力が高い」との評価を受けるように、ある意味での「良妻賢母」性(つまり、男性ウケへの目線)をも備えているように見受けられ、これらのイメージはいわゆる「女子」のワーディング*1からはやはりかけ離れているからだ。


これはあくまで私が本書を読んだ感想としてのものではあるが、「女子」という単語が含んでいる概念は、先日、松谷創一郎を取り上げた際に語られてきた「不思議ちゃん」のイメージに一定程度照らし合わせることが可能なのではないだろうか。



つまり、現代の「女子」の語法が紡ぎだす世界が、男性への「媚び」に繋がる「女子力」要素へのゆるやかな反対概念だと捉えることが出来れば、この「ねじれ」はねじれて然るべき構造から創り出されており、ねじれていることそのものが、「女子」の理解に役立つのではないかと思うのである。


しかしながら、時折現れる「40代女子」など年齢が高めの層に向かって「女子力」が用いられる場合は、そもそも彼女らが旧概念の「女子」を家事面その他で上回っていることから、この場合は「女子力」≒「女子」となりやすいわけだが、それは「女子」の持つ「"オトナ性"または"良妻賢母性"への反対概念」に「女子力」概念がアンチエイジング的に歩み寄らざるを得ないのではないかと考えている。

女性が歳をとるに従って、つまり日本を覆う社会規範に女性がさらされるにしたがって、「女子」と「女子力」の間のねじれが次第に解消されていくのだとすれば、彼女らにおける「女子力」とは現代の「女子」性を獲得する力であるとも言えそうな気もする。

とはいえ、この場合の「女子力」にも往々にして(男性に向かう)「媚び」力も含まれがちであることは、やはりいくら「ねじれ」が解消に向かっていくとは言えど、両者が決してイコールではないことを根深く物語っているようにも思える。

「女子会」とは何か

さて、「女子」の語の意味をさらに複雑にする存在として、「女子会」なる単語がある。
冒頭でも触れたように、40代の「女子会」などという概念が現れると、さすがにその外界では疑問符だらけである。

しかしながら、ここまで読んでいただいて「女子」という概念に向き合ってきた我々からすると、「女子力」という単語よりはこの「女子会」概念の方が受け容れやすいように思われる。

その理由はカンタンで、「女子会」にはそもそもから「男子禁制」性が含まれているからである。
これは「学校時代の対等な感じで」という「女子」概念の正当派生語とでもいうべきものだからである。


ここまで理解してしまえば、一般男性がよく持つ疑問である「"アラフォー女子会"は"女子会"なのか?」という疑問には、回答しやすくなる。
「アラフォー女子会」なるものは確かに「"女子"会」である。


また、それと同時に、「女子会」を通じて見えてくるものもある。

詳しくは本書を読んでいただければと思うのだが、たとえば若い世代、本来の「女子」的である女性による「女子会」はどちらかと言えば「自分が"女子"であるうちを楽しむ」会となりやすいようにみえる。

しかしながら、年齢層が高めの「女子会」ではどちらかと言うと、各自の中にある「女子」性、いわば「"女子"としてのアイデンティティ」を確認する活動であるように思えた。あくまで個人的な感想だが。


女性の40代未婚率も2000年時点の約10%から、その十年後には2倍となり、「専業主婦」時代はとっくに終わりを告げた。

それでも「新・専業主婦」がいたり、彼女らより社会に出ている「ワーママ」、さらに「バリキャリ」、はたまた「ハケン」に「ピー子」といった、それぞれの女性の幸福論が大きく分散し、かつ、各々の人生観が揺らぎやすい昨今において、彼女らが「女子」性を身にまとって結集する「女子会」は、「学校時代の対等な感じで男社会に自然と立ちたい」という価値観に皆で寄り添う、大事な基盤としての「放課後の教室」なのではないだろうか。

そう思うと、男性目線からは理解が難しかった、日本の「女子会」の意義について、1つの見解を得たような気にもなる。
これが本書を通じて私が得た漠然とした感想である。


以上、本書を読んでぼんやりと考えていたことをだらだら長々と書いてきたわけだが、著者である米澤泉さんは執筆現在、甲南女子大学人間科学部の准教授であられるそうだ。
しかしながら、冒頭であえて保留した感想を述べさせていただくと、本書の論述の構成はかなり著者の主観に沿っているようにみえてしまう。

どこから飛び出してきたのか分からない表現が、あたかも定説であるかのように記述されると、読んでいるこちらとしてはやはり鵜呑みには出来ない。
それは歴史研究一般にも通じるお話なのかもしれないが、もっと客観的なデータを積み重ねていくことは出来なかったのか。
それとも、本書は大衆向けだからとして、読みやすさにこだわったのだろうか。

いずれにせよ、この価格で、かつ、著者の属性を鑑みれば、もう少し研究者らしい文章を読みたかったというのは、私の身勝手な感想である。

BOOK

「女子」の誕生
「女子」の誕生
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米澤 泉
勁草書房
売り上げランキング: 81,661

*1:前述の「学校時代の対等な感じで男社会に自然と立ちたい」というような概念の基に成立しており、「過剰な女性性を軽減する」言葉